水の命が文明を生んだ

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2008.11.02 水の命が文明を生んだ

・探検ロマン世界遺産

1.アルハンブラ宮殿 グラナダ 水沢蛍リポーター

アルハンブラ宮殿はグラナダ王国の宮殿 アラヤネスの中庭 水鏡 タージマハルにも取り入れられた。水面の揺らめきの反射。幻想的な光景。

二姉妹の間 リポーターのことば「大変なことになってます!!」アルハンブラ宮殿の王妃のまであったところ。鍾乳石飾り。
予言者ムハマンドが神の啓示を受けたといわれる洞窟を表している。アラベスクと呼ばれるイスラム独特のデザイン。細かい線による緻密なデザイン、紋様。8世紀スペインにイスラムが造った国で、11世紀にキリスト教が復権した後に最後まで残ったイスラムの王国、グラナダ王国。

宮殿の美しさの秘密。なぜそこまで装飾したのか?砂漠の民族は砂漠以外のもの、水・多様性・緑を強く求めた。砂漠は変化に乏しい。全くないと言っていい。水へのあこがれも特に強い。

ヘネラリーフェ離宮の噴水。水の宮殿といわれている。水の階段。手すりが水路になっていて、涼しい水が流れている。それにしても、どうやって水をここまで運んだのか?宮殿の東の山の中へ案内された。山の雪が水の源。ダム。貯水池。今も残っている。貯水池からアルハンブラ宮殿まで、全長6キロメートル。わずか20mの高低差を巧みに地形を利用して水を運んでいる。途中には水道橋あり、宮殿内の水路の設計も絶妙だ。ライオンの中庭の噴水。管を細めることで水圧を上げて噴水にしている。

砂漠の民の驚くべき治水技術。バレンシア地方を農地化した。この地方は元々雨が少なく乾燥した土地だ。灌漑技術によりオレンジ外の作物が出来るようになり、水田すらも出来た。スペイン料理のパエリアも米を使っている。


2.ペトラ (ヨルダン)

40度を超える暑さ。8割が砂漠の国、ヨルダン。

狭い谷、両脇を100メートルを超える絶壁に囲まれた細い1.5kmの谷をあるく。ようやくペトラにたどり着いた。ギリシャ神殿を思わせるエル・ハズネ。王の墓だった。高さ40m。岩壁をくりぬいて出来ている。3万人くらいの人が暮らしていたといわれる。岩壁の様々な縞模様の色彩は、鉱物の色だ。

ローマ時代の3世紀に滅ぼされるまでの500年間、栄えていた。812年に発見される。ナバテア人の都。文明の十字路で豊富な富を築いた。水源はどこか?岩に掘られた長い溝と水道管。シリカと呼ばれる防水剤。これがずっと続いていた。

ワティ・ムーサに源泉があった。これがペトラの水源だった。6kmの距離をとおってきた。水源が都の外にあって大丈夫なのだろうか?もう一つの水源があった。それは「母なる山」と呼ばれていて、水瓶があった。雨水をためるという水を手に入れるシステムを作っていた。188の貯水槽が山の上にあった。


3.アンコール・ワット (カンボジア)

山本美希リポーター 1.5km四方。12世紀のアンコール王国。ヒンズー教の世界を表している。王国の最盛期にはインドシナ半島の大半を支配していた。

クーレン山 アンコール・ワットの北、約40kmに、石澤良昭上智大学学長の案内で訪れる。密林。ジャングル。アンコール王が建国を宣言した場所。クーレン山の中。

アンコール・ワット等への川の水源地。その池の中にに石の彫刻があった。石に彫られてあった。聖なる川。発展を祈った川。聖なる川はアンコール・ワット裏のため池につながっていた。ため池は8km×2km。広大な池。湖いや海のように、対岸は見えなかった。池の真ん中に島がある。人工島。聖なる場所があって、塀に囲まれていた。島の名はメボンといい、水量を確認できる装置があった。王は水量を確認しにいつもここにきていた。

雨期には洪水に見舞われ、乾期には干ばつに見舞われていた。広大な貯水池(調整池)は水量の調整をしていた。雨期には水をため、乾期には灌水していた。このおかげで水稲の3期作が可能になった。このためにアンコールは豊になり、強大な力を持つようになった。

王は水を支配できなければならなかった。

アンコール・ワットの建物の彫り物。神々の綱引き。大蛇。ヴィシュヌ神=王。

4.パムッカレ (トルコ)

石灰棚 ブルーの水、これは実は温泉。ローマ時代には保養地で45千人の都市が出来ていた。温泉の中に石柱。ギリシャ様式の石柱。14世紀の地震で崩れた神殿の柱。石灰棚で水の流れを調節する人。


5.まとめ

地球の淡水は氷を除いてわずか1%。これを6億人で分けて使っている。中国黄河。1990年代から水不足となっている。断流(下流で水が枯渇する現象)が起きている。川上で水を大量にくみ上げているために起きる現象。コロラド川もグランドキャニオンの下流80kmからはか細い小川となってしまっている。






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